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 ■「ジョルジーニョの鹿島アントラーズ監督就任」の話題で賑わうブラジル各紙!
 2014年ブラジルW杯を控えたブラジルサッカー界は好景気で、監督/選手の年俸は高騰しております。現にオリベイラ監督もかなりの好待遇でボタフォゴに迎え入れられておりますし、最近評判が急上昇中のジョルジーニョ監督にも2億円前後の年俸が提示されると予想されます。
 
 「日刊スポーツグラフ2010年Jリーグプレーヤーズ名鑑」によると、2010年に鹿島アントラーズはオリベイラ監督に1億5,000万円を支払っていたとのことなので、オリベイラ監督と比べると監督としての実績が劣るジョルジーニョ監督に提示する年俸は1億円前後と推測します。年俸提示額と要求額の開きから鹿島アントラーズへの就任は危惧されていましたが、仮にこの年俸額で鹿島アントラーズに来てくれるとしたら、鹿島アントラーズへのクラブ愛を未だにジョルジーニョが持っている事になると思いますので、こんなにも嬉しいことはありません!

 ジョルジーニョが鹿島アントラーズに所属していたのは1995年から1998年なので、もう13年以上も前のことになります。当時の事をご存知ないサポーターの方もいらっしゃると思いますので、今回はジョルジーニョについてご紹介します!


 ■プロ生活をスタートさせたフラメンゴ時代
 ジョルジーニョは、黄金世代のモーゼル、ジーコ、レアンドロ等、スター選手で構成された常勝軍団のフラメンゴに入団て、プロとしてのキャリアをスタートいたしました。ジョルジーニョは20歳ですぐにポジションを奪い、背番号2を背負って、5年間にわたってSBの不動のレギュラーとして1986年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権と、1987年のブラジル全国選手権の制覇に多大なる貢献をしました。また、1987年と1988年にはオリンピック代表にも招集されております。ブラジルでも大スターであったモーゼル、ジョルジーニョは、旧友であるジーコの誘いもあって、後に鹿島に来ることになります。


 ■ブンデスリーガ在籍時代
 ドイツ・ブンデスリーガのレバークーゼンでは、当時の監督により、ボランチへとポジションが変更しました。ジョルジーニョはボランチとして3シーズンを闘い、ボランチとしても名選手の地位を確立致しました。その後、バイエルン・ミュンヘンに移籍、移籍初年度の1994年に優勝を達成しました。


 ■ブラジル代表
 ジョルジーニョは、クラブでの活動と平行して、ブラジル代表選手としても、SBとしてその地位を確立しつつありました。そして、1990年のW杯、1994年のW杯に出場し、1994年のW杯ではチャンピオンに輝いております。ボランチとしてブンデスリーガでマイスターシャーレを掲げ、SBとしてW杯チャンピオンに輝くという、多彩なジョルジーニョでしか出来ない偉大な功績を残しております。!94年のセレソン(ブラジル代表の愛称)において、右のジョルジーニョ、左のレオナルドが素晴らしい攻め上がりは攻撃の組み立ての多くの部分を担っておりました。そして、オーバーラップだけではなく、両者は試合の随所で的確なサイドチェンジを行い、チームを活性化させていました。この二人の活躍には、子供ながらにハートを射抜かれました。その二人が鹿島に来ると知った時の興奮は今でも忘れられません!


 ■鹿島アントラーズ時代
 Jリーグでもそのポテンシャルをジョルジーニョは存分に発揮します。Jリーグではレオナルドと共にレベルの違いを見せつけ、圧倒的な存在感を放ちました。まだ周りとの連携が確立されていない移籍初年度には能力を十分に発揮しているとはいえませんでしたが、それでも8ゴールを上げています。鹿島時代は主にボランチとしてプレーしました1996年には、攻守共に完璧なプレーを見せ、鹿島アントラーズを初のJリーグタイトルに導くと共に、自身もMVPに輝いております。

 その後も退団するまでに、1997年にナビスコカップ・天皇杯のカップダブルを、1998年にはJリーグタイトルをもたらします。
 その実力に加えて、誠実で温厚な性格で、ファンへの対応も丁寧なため、サポーターからはすごく愛されておりました。ジョルジーニョがJリーグを去ってから10年以上が経った今も、ジョルジーニョこそが、「Jリーグ史上最強助っ人」という声は多いです。

 ■ブラジルのクラブで現役引退
 その後母国へと戻ったジョルジーニョは、最初サンパウロに在籍、そして2000年にはヴァスコ・ダ・ガマの一員として、ロマーリオと共にチームを牽引し、全国選手権と国内カップの2冠に大きく貢献しました。2002年にフルミネンセのユニフォームを纏い、ここで20年間の現役生活に別れを告げました。

 引退後はいったん代理人業に従事しましたが、アメリカ-RJの監督として現場に復帰しました。2006年には、ブラジル代表のドゥンガ新監督のもとでコーチに就任しています。その後、ゴイアスECを経て、今シーズンよりフィゲイレンセの監督に就任。当初は「1年で2部に戻らないこと」が目標のチームを、大躍進に導き、ブラジルでの指揮官としての地位を確立致しました。

 ジョルジーニョは、
だれも僕を信じないとしても、僕が自分を信じなかったら、夢なんか絶対に叶わない。僕は、自分を信じている。夢を叶えられる
という言葉を良く使うそうです。

 ジョルジーニョと共に、夢であるACL制覇に向けて、邁進する日々が待ち遠しいです!



 最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。ジョルジーニョが鹿島に来た時、小学生であった私と弟はレオナルドとジョルジーニョのブロマイドがお宝でした。弟は横浜マリノス(当時)のファンでしたが、この別格に優れた二人の事は大好きでしたので、二人で良くこの助っ人達について会話していました。

 ジョルジーニョの印象深いプレーがあります。ゴールシーンではありませんが、横浜マリノス戦の右からのコーナーキックの際に、普通に助走を取ったジョルジーニョは、巻いたボールを蹴ると見せ掛けてアウトサイドでカーブをかけて直接ゴールを狙いました。この試合、何度も飛び出してファインセーブを見せていたゴールキーパー川口の裏をつく素晴らしいキックでしたが、途中でボールの軌道に気付いた川口が慌ててセーブしました。今まで想像していなかったキックを見た衝撃と、解説者の興奮、川口の驚愕の表情が今でも忘れられません!

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