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■ジョルジーニョ監督の深き鹿島愛
 本日発売の『週刊サッカーダイジェスト』にジョルジーニョ新監督のインタビューが掲載されております。2ページに渡って、ジョルジーニョ監督のインタビューが掲載されておりますので、鹿島アントラーズサポーターの皆さんは是非ご覧いただければと思います。ジョルジーニョが、『いかに鹿島に愛され、いかに鹿島を愛しているか』とても伝わってくるインタビューでした。

 週刊サッカーダイジェストリンク(⇒http://www.nsks.com/ssd/7638/

 アントラーズのプレースタイルや、今季の選手補強、スタッフ体制、そしてACLへの思い等、とても充実した内容となっており、必見です。オズワルドオリベイラ前監督とも連絡を密に取り合っているようですし、鹿島の試合ビデオを見てチームの全体像も既に掴んでくれております!鹿島を率いることについて、その情熱がひしひしと伝わってきます。

 『昔と同じように名前を叫んで欲しい』との希望を持っている様なので、昔のジョルジーニョチャントで、ジョルジーニョを迎えたいですね!

■その他、鹿島関連コンテンツ
 鹿島アントラーズの今季の移籍についての評価や、野沢拓也、マルキーニョス、田代有三の『移籍決断の理由』も掲載されております。野沢拓也の移籍決断理由については、先日、『野沢が語る移籍の真実』という記事の中で、週刊サッカーマガジンの1月24日号において、移籍に対する野沢の独占インタビューが掲載されているとお伝えいたしましたが、今週の週刊サッカーダイジェストにおいても、別の視点から野沢の移籍について、記載されております。
 また、鹿島アントラーズの今季の移籍については、『勝ち組』と称されておりますので、その理由に付いても興味深い内容となっております。

 余談になりますが、神戸では野沢は10番、田代は11番を背負うことになるとの事です。


 最後まで読んでいただいてありがとうございます。かつての名選手であり、今回監督として鹿島に帰還するジョルジーニョ監督ですが、監督としての自分をとても客観的に見つめております。若手有望株の揃う鹿島アントラーズにとって、育成に定評のあるジョルジーニョ監督が若手の才能を開花させてくれれば、優勝争いに加わることが出来るでしょう!若返りが進みつつあるチームにとって、選手を鍛える能力に長けた監督が招聘されたことは、すごく良かったと思います!

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拝啓 マラドーナ殿

 あなたは鹿島アントラーズの偉大なOBであり、現在パリ・サンジェルマン(PSG)でGMを務めるレオナルド氏を痛烈に批判されましたが、正直理解に苦しみます。レオナルド氏に対してやっかみを抱いているとしか思えません。レオナルド氏の一ファンとして、抗議させていただきます。

 あなたは、「レオナルドは選手、監督、代理人、石油業者、一体何者なんだかさっぱり分からない。監督として、ミランからインテルに行った時も理解に苦しんだが、PSGに行ってからはますます何をしているんだか分からない」とおっしゃいましたが、その疑問に対してお答えさせていただきますと、レオナルド氏は兼ねてからの夢であったチーム補強の全権を握ることが出来る、GMという職に就いております。アルゼンチンサッカー協会と常に揉め事を起こしていたマラドーナ監督殿からは、GMとは想像も出来ない役職かもしれませんが、チーム補強の全権を握ることになるため、オーナーから全幅の信頼を置かれないと就けない役職です。サッカー界において名門チームのGMに所属できるチャンスはかなり限定されております。だからこそ、その前に所属していたインテルのモラッティーオーナーも、息子のように扱っていたレオナルド元監督を、「君にとって良いチャンスじゃないか」と温かく送り出してくれたのです。


 また、あなたは「ミランからインテルへ行くのは、ボカ・ジュニアーズからリーベル・プレートへ行くようなものだ。これは今までのサッカー界ではありえなかった“禁断の行為”だ。裏切り行為なんだ。」とおっしゃっております。

 ミランからインテルに行く事が“禁断の行為”とおっしゃっているのは、ライバル間の移籍となりますので、一般的な意見として正しいと思います。ただし、公の場でどなたかを、今回のケースではレオナルド氏を批判される場合には、十分にその背景を調べてから、発言するべきであると思います。
 インテルの監督になったレオナルド氏を、ミランのファンからは、裏切り者と見なされてしまい批判されましたが、インテルのファンからは監督就任に何の拒否反応も示されませんでした。ライバルチーム間の移籍はご法度で、過去にも物議を醸す移籍は何回もありましたが、本当に問題のあるケースでは、ライバルチームから選手や監督を受け入れる側も拒否反応を示しておりました。現役時代はミランの選手としてスクデット獲得に貢献し、引退後はスカウトとしてブラジルからカカーやパト等、超逸材を発掘してミランの戦力強化に大きく貢献し、つい数カ月前までミランの監督を務めていた男が、ライバルチームのインテルのファンに拍手で迎え入れられた事実はご存知でしたでしょうか?


 「でも、裏切り者はいつだって最後はどこかにうまくおさまって、PSGを買収したような大金を持つ連中と長い契約を結ぶ。その意味では、間違っているのはわたしの方で、レオナルドこそ正しいのかもしれない

 ご自分を棚に上げられたご意見をありがとうございます。ご自身も、UAEのドバイの王族と数億円に上る契約を結び、個人で使用されているジェット機までも支給されておりますよね?メッシを要するアルゼンチン代表を指揮しながら、チームの方向性を見出せず、監督としての評価を落としたあなたも、十分にうまくおさまっていると思います。


 あなたの現役時代の功績は色あせることはありません。しかし、ペレとメッシに次いで、世界で3番目に優れた選手であるあなたを持ってしても、傍若無人な振る舞いや言動は許されません。レオナルド氏は優れたカリスマ性を持ちながら、あくまでも自然体で、周囲を魅了する素晴らしい人物です。今後は、ご配慮願いたいと思います。

 
敬具 



 最後まで読んでいただいてありがとうございます。私の大好きなレオナルドが言われのない批判を受けていたので、その内容を紹介させていただきました。レオナルドも将来、鹿島に戻ってきてくれる日を楽しみにしております!

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 ■「ジョルジーニョの鹿島アントラーズ監督就任」の話題で賑わうブラジル各紙!
 2014年ブラジルW杯を控えたブラジルサッカー界は好景気で、監督/選手の年俸は高騰しております。現にオリベイラ監督もかなりの好待遇でボタフォゴに迎え入れられておりますし、最近評判が急上昇中のジョルジーニョ監督にも2億円前後の年俸が提示されると予想されます。
 
 「日刊スポーツグラフ2010年Jリーグプレーヤーズ名鑑」によると、2010年に鹿島アントラーズはオリベイラ監督に1億5,000万円を支払っていたとのことなので、オリベイラ監督と比べると監督としての実績が劣るジョルジーニョ監督に提示する年俸は1億円前後と推測します。年俸提示額と要求額の開きから鹿島アントラーズへの就任は危惧されていましたが、仮にこの年俸額で鹿島アントラーズに来てくれるとしたら、鹿島アントラーズへのクラブ愛を未だにジョルジーニョが持っている事になると思いますので、こんなにも嬉しいことはありません!

 ジョルジーニョが鹿島アントラーズに所属していたのは1995年から1998年なので、もう13年以上も前のことになります。当時の事をご存知ないサポーターの方もいらっしゃると思いますので、今回はジョルジーニョについてご紹介します!


 ■プロ生活をスタートさせたフラメンゴ時代
 ジョルジーニョは、黄金世代のモーゼル、ジーコ、レアンドロ等、スター選手で構成された常勝軍団のフラメンゴに入団て、プロとしてのキャリアをスタートいたしました。ジョルジーニョは20歳ですぐにポジションを奪い、背番号2を背負って、5年間にわたってSBの不動のレギュラーとして1986年のリオ・デ・ジャネイロ州選手権と、1987年のブラジル全国選手権の制覇に多大なる貢献をしました。また、1987年と1988年にはオリンピック代表にも招集されております。ブラジルでも大スターであったモーゼル、ジョルジーニョは、旧友であるジーコの誘いもあって、後に鹿島に来ることになります。


 ■ブンデスリーガ在籍時代
 ドイツ・ブンデスリーガのレバークーゼンでは、当時の監督により、ボランチへとポジションが変更しました。ジョルジーニョはボランチとして3シーズンを闘い、ボランチとしても名選手の地位を確立致しました。その後、バイエルン・ミュンヘンに移籍、移籍初年度の1994年に優勝を達成しました。


 ■ブラジル代表
 ジョルジーニョは、クラブでの活動と平行して、ブラジル代表選手としても、SBとしてその地位を確立しつつありました。そして、1990年のW杯、1994年のW杯に出場し、1994年のW杯ではチャンピオンに輝いております。ボランチとしてブンデスリーガでマイスターシャーレを掲げ、SBとしてW杯チャンピオンに輝くという、多彩なジョルジーニョでしか出来ない偉大な功績を残しております。!94年のセレソン(ブラジル代表の愛称)において、右のジョルジーニョ、左のレオナルドが素晴らしい攻め上がりは攻撃の組み立ての多くの部分を担っておりました。そして、オーバーラップだけではなく、両者は試合の随所で的確なサイドチェンジを行い、チームを活性化させていました。この二人の活躍には、子供ながらにハートを射抜かれました。その二人が鹿島に来ると知った時の興奮は今でも忘れられません!


 ■鹿島アントラーズ時代
 Jリーグでもそのポテンシャルをジョルジーニョは存分に発揮します。Jリーグではレオナルドと共にレベルの違いを見せつけ、圧倒的な存在感を放ちました。まだ周りとの連携が確立されていない移籍初年度には能力を十分に発揮しているとはいえませんでしたが、それでも8ゴールを上げています。鹿島時代は主にボランチとしてプレーしました1996年には、攻守共に完璧なプレーを見せ、鹿島アントラーズを初のJリーグタイトルに導くと共に、自身もMVPに輝いております。

 その後も退団するまでに、1997年にナビスコカップ・天皇杯のカップダブルを、1998年にはJリーグタイトルをもたらします。
 その実力に加えて、誠実で温厚な性格で、ファンへの対応も丁寧なため、サポーターからはすごく愛されておりました。ジョルジーニョがJリーグを去ってから10年以上が経った今も、ジョルジーニョこそが、「Jリーグ史上最強助っ人」という声は多いです。

 ■ブラジルのクラブで現役引退
 その後母国へと戻ったジョルジーニョは、最初サンパウロに在籍、そして2000年にはヴァスコ・ダ・ガマの一員として、ロマーリオと共にチームを牽引し、全国選手権と国内カップの2冠に大きく貢献しました。2002年にフルミネンセのユニフォームを纏い、ここで20年間の現役生活に別れを告げました。

 引退後はいったん代理人業に従事しましたが、アメリカ-RJの監督として現場に復帰しました。2006年には、ブラジル代表のドゥンガ新監督のもとでコーチに就任しています。その後、ゴイアスECを経て、今シーズンよりフィゲイレンセの監督に就任。当初は「1年で2部に戻らないこと」が目標のチームを、大躍進に導き、ブラジルでの指揮官としての地位を確立致しました。

 ジョルジーニョは、
だれも僕を信じないとしても、僕が自分を信じなかったら、夢なんか絶対に叶わない。僕は、自分を信じている。夢を叶えられる
という言葉を良く使うそうです。

 ジョルジーニョと共に、夢であるACL制覇に向けて、邁進する日々が待ち遠しいです!



 最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。ジョルジーニョが鹿島に来た時、小学生であった私と弟はレオナルドとジョルジーニョのブロマイドがお宝でした。弟は横浜マリノス(当時)のファンでしたが、この別格に優れた二人の事は大好きでしたので、二人で良くこの助っ人達について会話していました。

 ジョルジーニョの印象深いプレーがあります。ゴールシーンではありませんが、横浜マリノス戦の右からのコーナーキックの際に、普通に助走を取ったジョルジーニョは、巻いたボールを蹴ると見せ掛けてアウトサイドでカーブをかけて直接ゴールを狙いました。この試合、何度も飛び出してファインセーブを見せていたゴールキーパー川口の裏をつく素晴らしいキックでしたが、途中でボールの軌道に気付いた川口が慌ててセーブしました。今まで想像していなかったキックを見た衝撃と、解説者の興奮、川口の驚愕の表情が今でも忘れられません!

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